「電話にも出てくれないなんて」
午前中、ずっと引きずっていた。
「ごめん、こんな事、美鶴に話すような事でもないんだけど」
誰かに聞いてもらいたいという甘えだ。それはツバサ自身もわかっている。これ以上美鶴を巻き込むのはよくないと思いつつ、でもどこかで、ここまで巻き込んでしまったのだからといった、甘い考えに負けてしまう。
「他に話せるような人もいないし」
「蔦に話せばいい」
休み時間に見せられた、少し垂れた軽薄そうな瞳を思い出す。見た目よりもずっと真摯で誠実な眼差し。
「今日、蔦が来た」
「え?」
「休み時間に。どうしてツバサがあれほど兄を探しているのか教えて欲しいと言われた」
「え? で、どうしたの?」
「どうも何も、知らないと答えた」
ため息をついておにぎりにかぶりつく。
「私が間に入るような事じゃない」
「つくづくゴメンね」
「まったくね」
校庭の隅。風も無く、日差しを受ければ寒さもあまり感じない。昨日のバレンタインは寒かった。この暖かさは明日までらしい。
「お兄ちゃん、どうして会ってくれないんだろう?」
ふと脳裏に、対峙した瞳を思い出す。
「それは嘘だ」
闇を切り裂くような鋭い声。
「ツバサは僕の事など気にもしてないはずだ。ツバサは僕を嫌っているからだ」
「お兄さん、ツバサに嫌われてるって」
思い出すように呟く。
「え?」
「会った時ね、ツバサが会いたがってるって伝えたら、それは嘘だって返された」
「嘘?」
「ツバサは自分の事を嫌っているからだって。だから会いたがるはずがないって」
「そんな」
落胆したように手を膝に乗せる。
「確かに嫌ってはいたけれど」
それが幼稚な嫉妬である事に、兄は気付いてはいなかったのだろうか? あの、聡明で頭の良い兄が。
「やっぱり、悪いのは私なんだね」
自嘲する。
「自業自得なんだけどさ」
パクリと弁当を一口。
小さいが二段重ねで、金沢の職人に特注した加賀蒔絵が美しい重箱だ。使用人が作ったであろう内容も豪勢で、デパートが正月商戦に出してくるお節並。
これが弁当かよ。
美鶴は毎回目を丸くする。
持って来るのが重そうだなと言ったら、ツバサは笑っていた。昼休みに間に合うよう、使用人が届けてくれるのだ。昼休みが終わったら取りに来る。ツバサは、空になった重箱を門の守衛に預けておけばいい。確かに、ツバサが重箱を引っさげて放課後の駅舎に顔を出した事など、無い。
深窓の姫君じゃないけれど、本当に箸やシャーペンより重いものって持った事ないんじゃないのか? あ、鞄はちゃんと持って登下校してるよな。
そんな視線などには気付かず、ツバサは箸で玉子を突く。
「そうだよね。あれだけ反発してて、今さら会ってくださいだなんて、ムシが良すぎるよね」
美鶴は何も答えない。ツバサも返事を催促するような事はせず、だまって食を進める。
自分を嫌っている人間になど、会いたいとも思わない。その気持ちはわかるような気もする。だが、それだけだろうか? そんな理由で涼木魁流はツバサを拒否したのだろうか?
違和を感じる。
ツバサから聞いた話だと、涼木魁流という人間は、そんなに小さな人間ではないような気がする。こっそり後を付いてきたツバサに快く唐草ハウスを紹介した。母にバラすと幼稚な脅しを口にした妹にも、腹など立てなかった。
そんな彼が、たかが嫌われているからという理由で、拒絶したりするだろうか?
風が頬を撫でる。
なら、どのような理由があるのだろう。人が人と会うのを拒絶するのは、どんな時なのだろうか?
美鶴は、ふと手を止めた。
里奈は、自分に会いたがっていた。だが自分はそれを受け入れなかった。
半分以上食べてしまったおにぎりは、原形を留めてはいない。
別に里奈に会いたくないというワケではない。会って、誤解を解かなければいけないだろうという思いもある。失恋したショックで事態を勝手に解釈してしまった自分にも非はあるのではないかと、少しは思ってもいる。
だが、里奈に会うのを躊躇っていた。
雀が二羽、戯れながら飛んでいく。雲が陽射しを隠す。少し寒くなった。
涼木魁流、本当はツバサに会いたいのではないだろうか? でも、勝手に姿を消してしまった身勝手さに、後ろめたさのようなものを感じているのではないだろうか? 身勝手な事をしてしまったと思いながら、それでも健気に自分を探してくれるツバサに、申し訳ないとも思っているのではないだろうか?
一歩踏み出して会ってみれば、それで二人は分かり合えるのかもしれない。少なくとも啀み合う事はないだろう。喧嘩別れをしたワケではない。自分と里奈のように。
途端、夕暮れに走り去って行った里奈の後ろ姿が目の前に浮かぶ。思いもよらない展開になってしまった。新たな誤解を生んでしまった。古い誤解もまだ解けてはいないままだというのに。
自分に勇気があって、さっさと里奈に会って今までの蟠りを取っ払ってしまっていれば、このような新たな捻れなど、生まれなかったのかもしれない。
「会いにさ、行けばいいじゃん」
「へ?」
突然言い出す美鶴に、ツバサはポカンと口を開ける。
「な、何を言い出すの?」
「そんなに変な事か?」
呆気に取られる相手の顔を、呆れた表情で見返す。
「ホテルの名前はわかってるんだ。場所もわかるだろう? 会いに行けばいい」
「行ってどうするのよ?」
「呼び出せばいいだろう?」
「電話にも出てくれなかったのに?」
「だったらロビーで待ち伏せるとか」
事も無げに言う。
「いくらでもできるだろう?」
「そ、それはそうだけど」
口ごもる相手に、美鶴は口の端を上げる。
「どうした? 滋賀まで飛んでいったのに、いざ本人に会えるとなると怖気づいたか?」
「お、怖気づくだなんて、そんな事ないっ」
気色ばみながら身を乗り出す。
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